- 2009-01-25 (日)
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どこかの田舎のおじいちゃんが、気に入っていつもかぶっている帽子がある。
なんの変哲もないキャップ帽で、全体が鮮やかなイエロー。
つばもイエローなら、後頭部のメッシュの部分もイエロー。
黄色いプラスチックってひときわ目立つよね。
おでこの所だけ白くて、そこには「Dole」と書いてある。
そう、あのフルーツジュースのDoleのロゴが・・・
おじいちゃんが何故その帽子を好きなのかは分からない。
人が聞いてもただニコニコして笑っているだけだからだ。
でも娘は、その帽子のことが好きじゃない。
なんでDoleなの?
おじいちゃんはずっと八百屋をやっていて、
何かのキャンペーンでもらったのだ。
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だいたい、娘が小学校5年生の時の授業参観にも
Doleの帽子をかぶってきて、同級生には笑われるし、恥ずかしくて仕方なかった。
好きだった男の子も笑っていて、その日は家に帰ってから泣いちゃったんだ。
娘が結婚する時だって、まだ若かったおじいちゃんは
商店街の貸し衣装屋さんでモーニングを借りてきて、
似合わねぇなと照れくさそうに笑ったあと、
最後にDoleの帽子をちょこんと頭にのせた。
花嫁はさすがに怒って、
懇願して式と披露宴の時には帽子をやめさせたんだけど、
披露宴で酔っぱらった父親は、お客様のお見送りの時に
やっぱり帽子をかぶっちゃったんだよね。
そのことを娘は今でも恥ずかしく、腹立たしく、恨めしく思っている。
自分の一生に一度の晴れ舞台が、コメディーにされてしまったのだ。
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今では母親も亡くなって、おじいちゃんは仕事もリタイア。
娘夫婦と一緒の家で、土いじりをしたりして静かに暮らしている。
散歩が趣味なんだけど、娘は、自分の父親が毎日、
派手なイエローの帽子をかぶって外を歩くのがイヤで仕方がない。
年も年だし、おかしな恰好をしてウロウロしていると
頭がボケてきたんじゃないかと近所の人に思われる。
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いつもニコニコしているおじいちゃんには友達がたくさんいる。
花の育て方をアドバイスしてくれる花屋の青年とは、
仕事をリタイアして、散歩エリアを広げた頃に知り合った。
娘は知らないんだけど、
月に1回参加するゲートボール・クラブでは、
おじいちゃんに好意をもっている老婦人がいる。
ゲートボール場の中から、待ち合わせの時間ぴったりにやって来る
おじいちゃんのイエローの帽子が見えると、それだけで嬉しくなっちゃうんだ。
イエローの花や、建物や、食器を見るたびに、おじいちゃんのことを思い出すんだって。
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僕はべつに、おしゃれに縁が深い生活をしているわけではないですが、
年をとるにつれて、おしゃれにもいくつか種類があるらしい、
ということが分かって来ました。
1つはセレブリティのおしゃれ。
華やかなファッション業界から社会に放たれる、最先端で高品質なおしゃれ。
そして、イニシエーションとしてのおしゃれ。
冠婚葬祭や、状況、立場に合わせてふさわしい恰好をするということ。
最後に、心のおしゃれ。
何の役にも立たないけど、それがあるだけで本人の心が弾むようなおしゃれ。
リボンにこだわったり。お気に入りのアイテムとかね。
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ふだん、質素な服装をしている人が、華やかな席に臨んでおめかしするのは、
身に付いていないからファッショナブルじゃないだろうけど、
人生や生活の節目を大事にするという意味で、とても素敵なことだと思います。
でも例えば、インドの女性が、日本人の男性が結婚することになって、
結婚式でサリーしか着ないということになったら、
それは非常識なのか、おしゃれ(誇り/礼儀)なのか?
そして人生の幕を閉じる時、死に装束として着る衣装はどんなものか?
ファッションとはイニシエーションに由来するものであるならば、
その根源は実は、死に装束にあるのではないでしょうか?
その服を着て、死ねるか?
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僕と同じくらいの世代の人は、
10代なかばで、阪神大震災や、地下鉄サリン事件の発生に立ち会い、
平穏な日常は、いつでも、理不尽に破壊されうるのだということを
心に刻み込まれたのではないかと思っているのですが、どうでしょうか。
意識していてもしなくても、そういう恐れとか諦念みたいなものは、
人の言動に大きな影響をおよぼしているのかもしれません・・・
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今、その服で、死ねるか?
今の人間関係で、死ねるか?
今の仕事の状態で、ここまでのキャリアで、死ねるか?
あの人とのコミュニケーション、今の状態で、死ねるか?
ありきたりですが、
刹那的だったり捨て鉢になるのではなく、
死の方から生を見ることで、
分かってくることがあるのかもしれません。
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ともあれ、30になってようやく
儀式やイニシエーションの大切さが分かって来たとは言え、
僕自身は、自分の成人式にも参加しなかったのでした。
やれやれ。
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